「生まれる」の「血の繋がらない家族」に投稿

旧SNS日記

中途養育者サポートネットの数少ないスタッフ(いたのか・・・)に教えてもらいました。
http://www.umareru.jp/experience/
で、以下の文を投稿しました。

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先ず、ここに書けないこともあることをお断りさせてください。
血の繋がりのない家族にとって、事実は社会的に表に出したくないことも含まれます。これは家族の内情が、自分一人の責任で背負いきれないものを含むからです。

私自身は平凡な家族構成で、妻も初婚で、離婚歴はなく、娘(高1)が一人います。
娘の前に二卵生の双子を早産で亡くしています。
結婚歴は25年になります。

血の繋がりのない家族を迎え入れることになったのは、義弟(妻の弟)が亡くなったことで、その子ども達を、誰かが引き取らなくては、という部分からでした。
子ども達と生活したいからではありません。施設に入るより、我々の元の方が子ども達にとって安全だと考えたからです。もちろん、親族の子ども達ですから、愛着もあります。しかし、止むを得ず養育を肩代わりするのが、親族養育であることを先ず、お伝えする必要があると思いました。

義弟は子どものいる女性と結婚し、その女性との間に一人赤ちゃんが生まれましたが、家族として継続することは上手くいかず、薬に依存し、結果的に養育を果たせなくなり、離婚に至りました。
実母が子育て出来る状態ではないので、子どもの親権は2人とも義弟がとり、実際の養育は義母(妻の母)が肩代わりしていました。
子ども達が成長するにしたがって、年老いた義母の負担は大きくなっていきました。
下の子が小学2年の時に、学校で問題が起きました。友達のゲームを取ったというのです。保護者会で義母は養育を責められました。躾がなっていないと。また、このような家庭環境の子と同じクラスなのは迷惑だと。子ども達は地域的に追放されることになりました。
施設に行くか、別の地域の私たち家族が面倒を見るかでした。
2人の子どもを引き取るために家の改造などは必要でしたが、行き場のない家族の養育を交代するのは当たり前のことだと思っていたので、私はさほど迷いもなく、引き取ることにしました。

実際の困難は引き取るまでは気づきませんでした。子ども達は無垢ではありません。娘に意地悪をする、嘘をつく、やる気を起こさない、子ども達はとても自己肯定感が低くなっていたのです。引き取った当初、姉と兄が出来ることを喜んでいた娘が「おねえちゃんとおにいちゃんが来なければよかった」と言うに至り、私は初めて、自分の考えの甘さに気づきました。私たち夫婦はなんとかしてあげようと努力しましたが、実の娘と同じようにと思って育ててきましたが、結果的にそのようにはなりませんでした。
私も様々な機関に相談し、自らも大学へ入りなおし、児童心理学や児童福祉を学びました。姪は療育手帳を取得し、年金受給の手続きまで漕ぎ着けました。知的に低くない甥には特別な支援はありませんが、高校卒業までもうひといきというところまで来ました。引き取ってから10数年、一番大変な思いをさせたのは、本来愛情を一身に受ける権利があった、私たちの娘であったと思っています。

私は、血の繋がらない家族も、家族だと思っています。しかし、実親の代わりになる権利はないと思っています。実親の代わりになることは、実親の存在を否定することです。この子達の親は、一人は亡くなりましたが、一人は生きていて、子ども達には会う権利がある。相続の権利もある。(放棄する権利も)
実親は子育てには参画しなかった。でも血の繋がった親であることを変える権利は誰にもないと思うのです。
子どもが可哀想とか、愛情不足とか言いますが、そうではありません。
逆に、自分の子どもと同じ愛情を注ぐ事は、自分の子の愛情を減らしていることと大差ありません。可哀想な子として育てられた姪と甥は愛情メタボになっていて、いくら与えても遠慮することはありません。実娘と同じでは満足出来ないのです。彼らを満足させることが出来るのは、実親の愛情であって、私たちではありません。
中途から養育に関る場合、その子育ての立ち位置として、社会は実親の替わりを求めます。
親のいない子を、「可哀想な子」として見ます。それは全てが間違っている訳ではありませんが、「可哀想な子」と言われて育つ子は、「可哀想」が基底として育つのです。可哀想にしているのは、社会であって、実際の子どもは可哀想ではありません。しかし、「可哀想」から始まるので、血の繋がった家族と同じ子育てをしても、満足しないのです。

今、姪が成人するにあたって、ずっと連絡のなかった実親から連絡がありました。もちろん、引き取れるような状況ではないですし、むしろ成人した姪に、血の繋がった親に対する、社会的責任が出てくることでもあります。

私たちに出来ることは、縁を繋ぐことであって、実親の変わりに愛することではありません。実親を否定し、養育することは不可能ではないかもしれません。しかし、実親がどこかで生きているのなら、その縁を隠すのは、私は不自然だと思っています。
とはいえ、全ての事実を子ども達に伝えている訳でもありません。やはり精神的にショックなことも含まれるでしょうし、それを伝えず育てたことを責められる日が来るかもしれません。
でも、それを伝えるのも、我々ではなく実親の権利であり、責任なのかもしれません。

中途養育者は子育てにおいてあまり報われませんね(笑)

長くなりました。
血の繋がりのない家族について、体験談を募集していると我々のスタッフが教えてくれたので、私の体験でもなんらかの参考になればと思い、投稿させて頂きます。

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