要保護及び準要保護児童生徒数について

旧SNS日記

「里親の学校」梶さんより教えてもらったURL

(注)震災前データです。

以下、Facebookの流用・・・これも何か便利な処理方法はないものか(汗)


これらのデータを見る上で注意しなければならないのは、同じ数値でも人によって見え方が異なっていることをつい忘れてしまいがちである、ということでしょうか。

例えば、人によって感情はこのように異なることが考えられます。
・よかった~(^^;
・え~マジ?最悪
・ん?興味ないし
これらは自分の立ち位置(困窮度合を含)と、自分の住んでる地域の数値をどう判断するかで異なることが想像出来ます。

行動面においても
・なんとかしないと(改革タイプ)
・なんとかしないと(逃避タイプ)
・満足による現状維持タイプ
・現状維持タイプ(これ以上関りたくない!貝になるタイプ)
・ん?興味ないし
これらも自分の立ち位置と、データの判断基準をどう捉えているかによって異なると思われます。

なんの科目だったか忘れましたが(汗)感情と行動は処理系統、生理的な回路が異なるはず、です。
大雑把にいえば、人間は同じ数値を見て、自分と同じように思わない人も、同じ行動を取る場合もある、ということです。

で、「興味ないし」は「反応なし」ということでもあり、ひと括りにされますが、実はここに多くの理由を含んでいることも忘れがちです。
人によってはこの「反応なし」の人に対し、「なぜ、もっとしっかり考えない」と若干怒りの感情を見せる場合があるかもしれません。前提として、自分は「反応なし」を否定する、ないしは「理解不能」であるからでしょう。
ただ、そのさいに「興味ないし」と答えている人を、「自分に置き換えて」見てしまっているからかもしれませんね。

例えば、「自分は金銭的に何一つ不自由ない家に閉じ込められて何の自由もない。金持ちの苦労が貧乏人に判るか!」と言われたとしましょう。
確かに生活困窮と心の貧困は別問題です。
そういう方に対して「全てを捨てて貧乏人になる勇気もないくせに」と反抗するよりは、その人を楽にして差し上げる方法を考えたほうが得です。具体的にはお金を使わせてあげることでしょうか(笑)

こんな場合はどうでしょうか?
「私の脳は少ししかないので、難しいことを考えることが出来ない」
それを診断する権利はありませんし、何もいえないのではないでしょうか。

こんな場合はどうでしょうか?
「自分は既に実子ではない子どもを養育しているが、国の支援は受けていないし、普通の家庭と変わらない生活を送るために日々、必死で努力しているのに、今、そのようなデータを見たくない。大事かもしれないが、それらに関ることによって生活のレベルを下げる訳にはいかないのだ」

あ~いかん。
私も少し脳を使いすぎたようです(^^;

前置きが長くなりましたが、私はとりあえず、足立区の数値を下げることに多かれ少なかれ貢献したいという意志はあります。
しかし、(当然ですが)自分の生命が維持できる範囲を超えたくはありません。

無い袖は振れませんので・・・・袖をお持ちの人を同時募集します(笑)

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